野球のとらえ方③

2022-02-14

競技としての野球の目的は,「試合で相手チームに勝つこと」であることは前回書きました。ここで,ある疑問が出てきました。それは,試合をやればどちらかは負けるので,負けたチームは目的が達成できないし,悔しい思いもするので,野球をやる意味がないのではないか…ということです。

今回は、このことについて考えていきましょう。

結論から言うと,「絶対にそんなことはない」ということです。試合に負けて目的が達成できなくても,勝つことを目指して自分にできることを精一杯やろうとした,そのこと自体に価値があり,そこに大きな意味があると私は思います。このことは,心身の成長期である少年野球では特に大切にしていかなければならないことだと思っています。ですから私は負けた試合後のミーティングでは,試合の中でできたこと,良かったことをみんなで探すことに時間をかけて,そこを大きく評価しています。逆に,できることを全力でやらなかったり,はじめから諦めている気持ちが態度や様子に表れていたプレーには,たとえ試合に勝ったとしても反省を促します。このようにして、試合に勝つことは目的だけれど,勝ち負けよりも,自分にできることを試合の中で精一杯やったかどうかがさらに大切であることをチームの中で共有していきます。これを,試合をするたびに繰り返していくことで,一人一人がプレーに自信を持つとともに,自分に足りないことを自覚していき練習に取り組む姿勢が変わっていきます。

また,試合に勝つことが競技としての野球の目的だからといって,その部分にばかり力を入れすぎ,いわゆる「勝利至上主義」に走ってしまうと,少年野球に望ましい楽しく伸び伸びとやる野球からはずれたり,能力のある子に過度の負担を強いることになったりと,大人主導のギスギスした野球になってしまうことが,今大きな問題として様々な方面から言われています。体罰はもちろん、罵声の禁止についても近年厳しく言われていますが,体罰・罵声などは勝利至上主義の弊害なのではないでしょうか。勝ちたいのは指導者として当然ですが,この気持ちが強すぎ,視野が狭くなると,体罰や罵声に結び付きやすいのではないでしょうか。罵声を浴びせても,その時の指導者の想いを一方的に言っているだけで,子供たちには伝わらず、かえって子供たちの心は離れていくばかりです。私事で恐縮ですが,教員として若い頃は私も大きな声でよく怒鳴って指導していましたが,このやり方では今の子供たちはついて来ない,ついて来られないとつくづく感じています。では,今どんなことに気を付けて子供たちを日々指導しているかというと,少し忍耐力がいるのですが,言いたいことをぐっとこらえて,逆に子供たちの話をよく聞き,気持ちに寄り添ったり共感したりするようにしています。そうすることで,子供たちの方から次第に心を開いてきます。こうなると,こちらが言いたかったことも聞き入れてくれるようになります。少し遠回りですが,この方がかえって近道だということが近年の教育実践から得られたことです。(とは言っても,ダラダラしていたり,やるべきことをやらなかったりした時には,指導者として“喝”を入れる必要はあるかと思いますが…)

少し本題からそれてしまいましたが,このことは大事なことなので,「子供たちに寄り添うこと」については,後日改めてまた書きたいと思います。

長くなってしまいましたが,以上のことから,競技としての「野球のとらえ方」をもう一度私なりに整理して考えてみると以下のようになりました。

「相手チームに勝つことに試合の目的はあるので,勝ちを目指すことは大事である。しかしそれ以上に,試合の中で自分にできることを精一杯やることに本当の価値がある」…って,こんな感じですかねぇ😅

野球って難しい…って思わないでくださいね。スポーツとして野球を楽しむこと,競技として勝ちを目指すこと。この一見相反する二つのことを,どのように両立させていくか…次回はそのあたりについて考えていきます🙇

※ みなさまから「コメント」を書いていただける設定をしましたので,よろしければコメント記入欄からコメントをお願いします。さかのぼって,これまで書いたブログにもコメントできますので,合わせてよろしくお願いします。

野球

Posted by S監督